事案の概要 |
(1) Dと、Eとは、昭和49年3月中旬から内縁関係にあつたものであるところ、Eは昭和50年11月初めに出奔して行方不明となったが、Dは、昭和51年2月10日Xを出産したので、同年2月23日、自己が保管していたEの署名、捺印のある婚姻届とみずからE名義で作成したXの出生届とを京都市左京区役所に提出し、その結果、Xが戸籍上EとDとの間の嫡出子として記載された。 (2) その後、Dは、Eの親族の了解を得て協議離婚届出をし、更に、Xにつき母の氏を称する旨の届出をしたことにより、XはDの戸籍に入籍されることとなった (3) ところが、昭和53年12月初め頃、新潟県警東署からの身許照会により、Eが昭和50年11月1日頃に死亡したことが確認されたところから、前記婚姻届、出生届、協議離婚届等Xに関するすべての届出の無効を理由とした戸籍訂正許可の審判に基づいて戸籍が訂正された結果、XとEとは戸籍上父子関係が存在しないこととなった。 (4) Dは、Xの法定代理人として、昭和54年5月24日本件訴えを提起した。 |
争 点 |
認知の訴えの出訴期間の起算点(民法787条但書) |
判 旨 |
Eの死亡の事実がDらに判明したのは、その死亡の日から既に三年一か月を経過したのちであり、その間、Xは戸籍上E、D夫婦間の嫡出子としての身分を取得していたのであるから、X又はDがEの死亡の日から三年以内に認知の訴えを提起しなかつたことはやむをえなかったものということができ、しかも、仮に右認知の訴えを提起したとしてもその目的を達することができなかつたことに帰するところ、このような場合にも、民法787条但書所定の出訴期間を徒遇したものとしてもはや認知請求を許さないとすることは、認知請求権者に酷に失するものというべきである。右出訴期間を定めた法の目的が身分関係の法的安定と認知請求権者の利益保護との衡量調整にあることに鑑みると、本件の前記事実関係のもとにおいては、他に特段の事情が認められない限り、右出訴期間は、Eの死亡が客観的に明らかになった昭和53年12月初め頃から起算することが許されるものと解するのが相当である。 |